2016年12月30日

ブログを書く

このブログ、書き始めて来春で8年目に入る。書き始めた当初は、我が身の回り

の出来事の短い報告記事であったが、徐々に長き記事になっていった。

読者は誰を想定、読者のターゲットは誰?誰に対して、特定者?それは・・・・・。

我が年賀状の差し出し相手とテニス仲間に対して書いている。概ね小生と同年代

の友人、知人に対して書いている。毎年差し出す年賀状にはこのブログのURLを

記載し、広報している。そしてテニス仲間には口コミで広報している。

自慢できる記事ではないが宣伝している。友人、知人以外の多くの第三者にも読

んでもらおうと思えば、検索エンジンに登録すれば、検索され、公になるのである

が、検索エンジンへの登録は控えている。しかし、公に目には触れる。

余り難しい記事、硬い記事ばかりでは面白くない。高度な難しい記事は書けない

が硬・軟織り交ぜ、時折脱線しながら書いている。面白くあるがままに・・・・・。

時折、検閲する老婆(ラオポ)から貴方の品位を下げます、疑われますと忠告も入る

が、承知の上で書いている。機械音痴の老婆、最近WindowsならぬLinuxパソコ

ンの自らの操作技量が低いようで、検閲をすり抜けている。

記事を書く意欲が沸けば書き、当然ながら意欲がなければ書く気にはなれない。

バイオリズムのような意欲の波がある。

あるテニス仲間の1人の先輩が時折褒めてくれる、我が記事を。単純な小生だから、

褒められれば木にも登りたくなる。そんなに評価してくれているのかと。

ブログを書いて、褒められて思うところが有る。

作家などの物書き、創造的な仕事をする者は、孤独の環境がなければ良いアイデ

アは生まれないと思うもの。あることに没頭しようと思えば、アイデアを、創造力を

働かせようと思えば、邪魔を排し、多くは静寂な孤独の環境が必要である。

小生はこのような環境に恵まれていると言うもの。誠にもって残念、望まぬのである

が、邪魔をする者がいない孤独の環境の中に身を置いている。

沢山の家族に恵まれておれば、日常的に、子供が、孫が、嫁さんがと邪魔も入る。

家族の仕事も入る。時に注意もし、心配もする。常に頭の片隅には家族がある。

その愛する家族の為の思考も必要だ。自分の時間、静寂な孤独の時間はなかなか

得られないもの。小生は多くの家族、家庭環境を望む処であるが、如何せん、

神は意地悪、許してくれない、孤独を強要する、小生に。

誰もが孤独の静寂な自分だけの時間を持てれば、自ずと創造力は働き、余計な

ことを考えるもの。小生はそのような環境下にあると言うだけのことである。

自ずと生まれる孤独の自由な時間に余計なことを考え、それをブログに書き、

自分という人間を周りにアピールし、さらけ出している。あるがままに・・・・・。

このブログ、一方通行ではない。時にコート場でのご対面によるリアクションも

起きる、挑発記事等によって。相互通行でもある。

心理学で学んだ「ジョハリの窓」のオープンを心掛けている。ブログを通して。

犯罪心理学者が我がブログを読めば、書き手の小生の人間性、人物は完全に

見透かされてしまうだろう。ジョハリの窓の教えに従ってブログを書いているから。

巷では個人情報保護法なるものが施行されているが、小生、ある心の一面、心理

情報ではオープンだ。故に知能犯罪、悪事は出来ないと宣誓していることになる。

*関連ブログ 2010.12.19 「ジョハリの窓」

   この一年、ご愛読?!戴き有り難うございました。
  ご家族一同が集う新年、楽しいお正月をお迎えください
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2016年12月21日

四苦を超える5

今朝は濃霧が発生し、JR琵琶湖線の電車の発着が乱れている。乱れるも次々に

到着する電車に乗り込む。1山、トンネルを超えた山科に霧はなく快晴。霧の影響

はない。 この講座、補講を含めて今回で6回目、越年の次回で満了となる。

前回くらいから内容に大きな変化は無く、講座内容の主体が観えてきた。

生・老・病・死の四苦、受講者が60歳代以降であるから、老・病・死が主である。

この3苦を如何にして超えるか。 以下はその講義内容の一部である。

理性、知性による分別が邪魔をしている。損/得、勝/負、善/悪の判断が邪魔

をしている。 Humanismの人間中心主義の煩悩により汚染されている。

足るを知りなさい。 この俗世界から仏の世界へ、信心しなさいと言うもの。

さすれば苦は超えることが出来ますよ、と言うもの。

老・病・死を受容するには仏の智慧を戴く、仏智を戴く、信心する。

仏の教えとは、 教えて・・・・・せしめる ⇒ 変化させる ⇒ 成熟する

初期段階は知識のレベル、人格まで変わると成熟レベル、本当に知る、は、

それになりきること。 お念仏の南無阿弥陀仏、南無は仏、菩薩に対する冠詞。

阿弥陀仏は、仏さんの名前の阿弥陀仏如来(仏)の意。

小生も含め、信心といっても多くが知識レベルの範である。

今現在の私は卵の中の孵化前の私である。熱(仏の教え)で以て小さな卵の

殻を出て、ひよこ(悟り、信心)となって大きな世界(仏界)に生きよと。

私という人間、周りの多くのご縁によって生かされている。

役割、使命、仕事を与えられ生かされている。人間として生まれて良かった。

生きてきて良かったという人生は、その人なりの輝きが出ている。

同講座名は「四苦を超える物語」 毎回配られるレジュメには多くの人生物語が。

以下は青木新門さんの日記(2016.12.6)より拝借、一部編集(レジュメ)。
『現代人のほとんどの人は〈生死(ショウジ)〉という言葉の概念をイメージできなく
なっているのではないかと、ふと思った。〈生死〉という概念は西洋にはない。
西洋では生か死であって生と死が一つになった〈生死〉などという用語はない。
仏教は〈生死〉という概念を基に成り立っているのに、近代ヨーロッパ思想に
洗脳された現代の日本人は<生死〉という概念のイメージが描けなくなっている
のではないだろうか。それでは仏教は理解できない。   例えば、
水(H20)は水素原子2個と酸素原子1個からなる化合物である。水が、水素と
IMG_1274[1].JPG酸素と全く異なる性質を持っているよう
に、化合物の性質は含まれている元素
の単位と全く別のものなのである。
混合物ではない。この水と水素と酸素
を、生死の生と死に置き換えた時、
生死は生と死の化合した状態のもので
あって、生死は死でもなければ生でも
ない全く別の状態のものであるといえる。
人間は言葉を持った為に生と死を分け
て思考したりするようになったが、言葉
を有しない植物や動物は死という言葉も持ち合わせていないから死に対する
恐怖も持ち合わせていない。常に生死を生きている。常に生死を生きている
ものは美しい。言葉を知らないよちよち歩きの幼児や子猫や子犬が可愛いの
も自然(じねん)のままの生死を生きているからである。
生と死を分けて苦悩している人にとっては、生死を生きているものを見るだけ
で癒やされるのである。もうそろそろ我々は、生と死を考えるとか、死について
語るとか、そうした分別の思考は止めなければならない。考えても答えがえら
れないのだから‥‥生死の真実を知って初めて、生も死も、その真実を知る
ことができるのである。』

故に、死にたくない、長生きしたいと思うは、生と死の有限の分別の考え。

出遇うべきものは、死なない命「無量寿」の仏の世界。

12時過ぎに講義を終え、天気も良く、時間調整を兼ねて、キャンパス周りを

ぶらり歩く。直ぐ隣の大学の大宮図書館、これも歴史を感じる造りである。

歩いて行くと西本願寺の宗務所前に出た。大きくて広大な境内。多くの外国人

が来ている。宗務所から入り、境内を通って空いた頃の大学学食へ向かう。

こうして14時前の電車に乗り帰途につく。山科駅から大津方面の山裾を観る

と霧が漂い降りてきている。次のトンネルを過ぎるとまたも滋賀は濃霧景色。

帰りの駅からのバス、早目に下車してウォーキング。

今日一日、12500歩、7.5kmウォーキング。
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2016年12月20日

マーマレード


先日の日曜日、天気が良いから遠い地のテニスクラブで戯れてきた。

手土産に柚子を携えて出掛けた。皆さんで適当に分けて下さいと。

小生同様、敷地内に果実を植えている人も結構多い。蜜柑、キンカンなど

柑橘系の実物は屋敷内での自家栽培も多い。柚子を少しづつ小分けして

お裾分けしているが、なかなか減らない。放っておくと熟して自然落果する。

その前になるべく早く摘みとり、樹への負担を減らさなくてはならない。

そのテニス仲間の、余り酒を飲めない一人が、何故か柚子酒を作ったと

言っていた。そこで今日、突然の思い付きで、柚子酒より料理技術の必要な、

柚子のマーマレード作りに初挑戦した。小生、週に一食くらいはパン食を
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摂っており、いつも市販の果実ジャムを食し、その利用頻度も高い。

ネットで調べて作った。実に沢山の作り方が出ている。Youtube画のある作り

方を参考にすることにした。柚子の実を採果し、表面を洗い、半分に切り、その

果肉を果汁絞りで絞る。種と袋かすは使わない。皮を小さく刻む。これが結構

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大変だから、途中からフードプロセッサーでスライスした。上手くスライスでき

ないが細かくなった。その刻んだ皮を水に浸し、次に茹でてあく抜き。

このあく抜きした皮と絞り汁と少しの果肉と砂糖、水を規定量加えて強火、弱火

で約90分余煮込んだ。水分が少なくなるまで煮込む。水分が少なくなってくると

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油断していると鍋底が焦げるから注意しながらかき混ぜ、煮込まなくてはなら

ない。どの位の粘りにするかも考えながら煮込む。冷えてくると固まるから、

煮込みながらの粘り加減がポイント。こうしてマーマレード(ジャム)作りが

完成。酸味があり、結構上手く出来上がっている。
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しかし、作り方のビデオの柚子量より、少ないにもかかわらず、出来上がった

マーマレード量は小生の方が多く感じる、どういう訳か。早速試食した。

酸味が効いて、これは旨い!!自画自賛の栄養満点!

しかし、突然の思い付き料理だから入れ物のガラスビンの密封容器がない。

長期保存は、雑菌、カビ防止のためビンを煮沸し、密封保存しなければならない

のだ。密封性は良くないが適当な容器に保存することにした。

兼ねてからエプロンを一つ買おうと時折、エプロン売り場に出向くも商品選び

に迷う。多くが女性ものエプロン。巻きタイプのエプロンでも買おうかと、思案中。

料理を作るのは良いが、その後片付けが億劫である。次は柚子酒でも作るか。
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2016年12月14日

四苦を超える4

本来は水曜日のテニス練習日であるが講座と重なっている。故に運動できない。

だから、補おうとバスに乗る区間を短くするために歩いた。バス停の時刻と睨め

っこしながら次のバス停まではまだ行けると歩いた。

開講時刻が間に合わない恐れがあったから、京都駅からも速足で歩いた。

この四苦を超えるという講座、信心し、仏の智慧を借り、考え方を改めれば苦を

超えられますよ、と言う仏法の教え。そうすれば苦はなくなり幸せに極楽往生

できますよという。 旅立ちへの心の準備でもあり、今を生きる心得でもある。

他力本願の浄土門と自力本願の聖道門がある。信心し、南無阿弥陀仏を念仏

するのが他力本願。その尊い教えを聞いても直ぐに行動に移せる、できるほど

に簡単なものでは無い。 

小生はまだその心構えの一部を心の隅に留めておくレベルである。

今日の講座内容、一概に説明するには難しいから、レジュメの一部内容を紹介。

資料:森津純子「幸せに死ぬ方法」2005年12月
『ホスピスというところは、原則的に、抗がん剤、放射線、手術などの強い治療は
行わず、体の辛い部分のみを治療し、残された時間をその人らしく生きることが
できるようにサポートする病院である。そのため、治療計画を立てる上で、何より
も本人の気持ちが最優先される。至れり尽くせりの患者本位の病院だ。
こうした病院であれば、すべての人が「幸せな死」を迎えることが出来るのでは
ないか・・・と私は考えたのだ。
確かにホスピスでは、多くの患者がその人自身の心と体を大切にされ、それに
よってストレスが最小限に軽減され、穏やかな心でなくなっていかれた。ところが、
どんなに心を尽くして看病しても、どうしても幸せに死ねない人々が出てきたのだ。
そのうち、こうした「幸せに死ねない人々」には、共通の問題点があることに気が
ついた。幸せに死ねない人たちは、『不満や不幸を見つけることがとても上手』
なのである。彼らは、どんなに素晴らしい環境、状況が周りに用意されても、必ず
不満や心配や不幸の種を見つけ出しては、そればかりに心を集中してしまう。
周りの人たちがどんなに、そうした問題の種を取り除いたり、気持ちをそらそうと
手助けしたりしても、問題にしがみつくのだ。つまり本人自身が、心の中の不幸
を手放そうとしないのである。そのために、心の中に幸せが入り込む隙間がなか
ったのだ。こうした人々とは逆に、どんなときでも、常に幸せでいられる人がいた。
彼らは、どんな絶望的な状況の中にあっても、その中にほんのわずかに、きらり
と光っている希望の種を探し出すことができた。こうした人は、たとえ、重い病気
にかかって、死の間際にあっても、病気や死の中に眠っている希望の種を見つ
け出し、幸せに死んでいった。つまり、「幸せに死ぬための究極の方法」は、
どんな逆境や絶望の淵にあっても、心の中に幸せや穏やかな心を保っていられ
るだけの力を身につけること・・・だったのである。私は何千人もの人生、そして、
死と向き合う中で、こう教わったような気がする。…略…。』
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同講座の講師は大学教授でもあり、医師でもある。

人間の身体は100%の全力で生きているのではない。本来は30%の力でも

生きられる。60〜70%は余力である。 人間ドックの検査結果、全く問題が

無い割合は6%である。残り94%は何らかの異常が見付かっている。

検査で肝機能検査のGOT、GPT値が基準値を少し外れてもそれを気に病み

心配する。大きく外れておれば問題であるが、問題にする程でもない。

しかし、結果が完璧、100%を求められる。何でも60〜80%で合格である。

自ら小さな心配、苦を作っている。

今日一日、12200歩、7.3kmウォーキング。
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2016年12月07日

ポリ・コレ・ネス

小生が購読する新聞に、週1回、作家、曾野綾子氏の社会問題の記事が載る。

内外の社会問題に鋭い視点、異なった視点で観るから興味深く毎回読んでいる。

その視点が、問題提起が的を得ているといつも思うもの。

辛辣で、歯に衣着せぬその内容は示唆に富む。先日も興味深い記事が載った。

その内容を以下にそのまま掲載した。小生も内心、それに類したことを薄々

感じていたから、上手く表現するなぁ  と、関心を持ったもの。

彼女は今85歳、スーパー老人である。頭脳は若く、思考が柔軟だ。

                    2016.12.7付 朝刊掲載
「おきれいごと」に愛想つかした民衆    
 欧米の反「PC」潮流                                  作家:曾野綾子

『マスコミが、トランプ氏の当選以来、ヨーロッパでも極右政党が力を
伸ばしつつある、と書いている。しかし現実には、オーストリアの
大統領選で極右は勝てなかった。もし極右が台頭しそうなら、近年
の日本とヨーロッパのマスコミがふりかざした理念のせいだ、と私は
感じている。その理念を「ポリティカル・コレクトネス=政治的妥当性
 (PC)」というのだと私は教えられた。(Political Correctness)
 本来政治的にどのような姿勢が妥当だか、決めることはできない。
しかしこの場合、「妥当性」がこだわるのは、人間の内面的な倫理では
なく、「言葉、表現、行動などの政治的見地から見た正しさ」、つまり表
面的なものだ、とされている。要するに公的な場所で差別的表現を使
ったり、ヘイトースピーチをしたりしないことだという。
 ここ数年、日本のPCに対するマスコミの執着はすさまじいものだっ
た。つまりポリティカルーコレクトネスの姿勢さえ見せれば、自分も自
分の社も人道的に正しい存在である。それゆえ、そうでない人の文章
無題.jpgは没にするか、書き手の態度
をどこかでやっつければいい、
というまさに表現の暴力で
あった。私は体験から実例を
挙げて説明することもできる。
人間は皆、葛藤に苦しむ。
難民を受け入れたいと思って
も、彼らの小屋を作る土地が
なかったり、彼らの子供たちを
教育するために、自分が長い
年月払い続けてきた年金の幾分かを使われたり、彼らの安い労働力
で職場が失われたりすれば、無制限に難民を受け入れるのは考えよ
うということになる。しかしそれでもなお、誰の心の中にも、飢えている
子供の手には、パンを握らせたいという思いは残っているものだ。
 しかし大方のマスコミは、おきれいごとを述べ続けた。そんなことを
言ってもいない人までアンチPCだとやり玉に挙げて、その人を悪者に
することで、自分は人道主義者だという証拠を見せつけるという、もっ
とも汚い手口さえ使った。 近年の世界のマスコミは、人間は
理想通りに考え行動すべきで、それ以外の要素は、語ることも恥ずか
しいと考えているらしい。
 しかし一般民衆の方はもっと正直だった。一人の人間の中に、悪魔と
天使の要素が同居しているのをちゃんと見抜いていて、その悪にも言及
したトランプ氏に部分的な同感を示した。というより、選挙中にもおき
れいごとを言い続けたクリントン氏とマスコミにうんざりしたのだ。
 改めて言う。トランプ氏を当選させたのも、ヨーロッパに極右勢力を
台頭させそうな空気を作ったのも、共にマスコミの幼児的なPC一辺倒
の姿勢の「功績」である。 私は再びユダヤ人狩りが行われるなどとは
全く思わない。なぜなら、それは生理的に不愉快な行動だからだ。
人間はそれほどおろかではないだろう。しかし差し当たり、PCに
易々として傾くマスコミの姿勢と闘うことは必要だ、と私は体験からも
思っている。』

時に筆の暴力とも言われるが、マスコミは圧倒的なパワーを持っている。

道具を持っている。放送局や大新聞、出版界は世論を誘導することも可能だ。

当選した米国のトランプ大統領は過激な発言で評判は悪い。しかし、国民は

彼を大統領に選んだ。彼は理想論に対し、人道主義に対しても容赦なく強い

言葉で反論し、批判を浴びせる。国民の一部は、よくぞ代弁してくれたと選ん

だのであろう。  今回、現実の世界にも目が向けられた。

ドイツは大戦の反省もあって人道的に多くの難民を受け入れている。しかし、

社会にはキャパシティというものがあって、無制限に受け入れるにも限界が

ある。短期間に多くの移民受け入れは社会にストレスを与え、摩擦を生み出す。

下手をすれば国内が混乱、騒乱に。そうなれば難民処ではなくなってしまう。

錦の御旗を掲げられても、もうこれ以上はと本音が台頭してきたと思うもの。

現実の世界に理想論は限界がある。何故なら理想だから。

*今回、新聞掲載記事をスキャナーで読み取り、OCR(読取革命)で文字認識
  (認識率99%)により記事とした。印刷記事を文字化するにはとても便利だ。
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posted by tennismouse at 10:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月04日

楽しき忘年会

テニスクラブの忘年会に出席。距離的に遠き、古くからのテニスクラブの忘年会。

前年と内容は変わらず、前年スタイルを踏襲、リピート内容忘年会。

鍋料理のブリしゃぶ、会場も昨年と同じ。勿論、幹事も同じ。ご苦労様です。

前例を、踏襲を好み、変化を嫌う。ハプニングを避け、安定を好む高齢メンバー。

テニス合宿という名の秋のクラブの小旅行、昨年と同じ宿泊会場。変化を嫌う、

安逸のクラブメンバー。メンバー構成も大きな変化は無く固定メンバー。

片やもう一つの近場のテニスクラブは逆にメンバーが結構入れ替わる。

互いに対照的なクラブで、一長一短。 固定相場制か変動相場制か。

さて、忘年会、参加メンバーは少し変動があって7名。昨日は13時から3時間の

テニス練習。天気も良く沢山集まった。ワイガヤで相変わらずの楽しい舌戦テニス。

身体を動かし、胃袋を空っぽにして夜の会食に備える。小生、テニスが終わるや

急いで老婆(ラオポ)の家に向かう。シャワーを浴び、40〜50分ユックリして、再び

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テニスコートのある地区の会場に向かう。昨年は渋滞し、遅刻したので、今回は

湖周ルートで老婆の車を運転し、会場に向かう。

30分足らずで到着、同乗した老婆(ラオポ)は、その車でUターンの一時帰宅。

巷のクラブ談義、気心知れた親しき古き仲間、ワイガヤで楽しい一時の無礼講。

来年の合宿の話も出たが、変化を嫌い、ほぼ前年を踏襲しましょうと相成り候。

新規クラブ会員の勧誘の話も出た。勧誘しましょうとなったが・・・。

勧誘に成功した者には年会費を優遇するとも、しないとも。酒の上の話。

クラブの新陳代謝を高めるには女性会員の加入も必要だ、今女性は0。

どんどんメンバーの平均年齢は上がっていき、高齢化によるクラブ継続性に

黄信号が点る。少子高齢化の余波!?3時間余、楽しき忘年会はお開き。

事前にメール連絡した老婆(ラオポ)の迎えの車に乗り、昨晩は老婆の家で眠る。

今日は昼食後、再び帰路途上にあるテニスコートに向かう。

この遠きテニスクラブ、加入してもうすぐ30年になる。転居により9年クラブを

離れたが、再加入1年が過ぎた。長く在籍する古きテニスクラブ、メンバーが

古いと昔話が、地域の話が、人の動静も通じるから、親しみを感じる。話題に

通じ、思い出も多い。旧知の友とは良いものだ、今後とも大切にしたいもの。

こうして今日も3時間近く身体を動かし、38Kmの遠き道の帰途についた。
posted by tennismouse at 22:41| Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月02日

君の名は

本当に久し振りに映画を観てきた。当初、30日の大学講座後に四条京極通りの

映画館に向かう予定であったが、大学の展示会に誘導案内され、「京祈り継いだ

1200年」展へ。日を改め2日に鑑賞に行く事にした。この映画を鑑賞しようと

したキッカケは、先日のNHKクローズアップ現代、想定外のメガヒット!?を

続ける「君の名は」の人気の謎の追究番組を観てから。 大昔のラジオドラマ

「君の名は」と同じタイトル名。当時の「君の名は」は、ドラマの放送時刻になる

と女風呂が空になるというほどの人気番組であったそうだ。小生のまだ幼少の頃

の出来事。今回の平成の「君の名は」はアニメーション映画という。小生、タイトル

名からして興味を持っていた。それは小生の若かりし多感な頃、誰しも感情を高

ぶらせる異性へのあこがれがある。正常な男女なら誰しも体験するもの。

この感情を高ぶらせた頃を想い出したくて観に行こうと決めていた。

小生が20歳の頃、今から振り返れば、運命的な出会いというものはあるものだ。

しかし、その少ないチャンスを自ら逃した。神様の縁(えにし)を無下にしたが

ために、背いたために、その後の我が人生に大きなしっぺ返しが、狂いが生じた。

無下にした積もりはなく、本心とは裏腹の行動を取ったのだ、勇気が無かったのだ。

草食系だから。 今、その時の彼女に会わせてくれと老婆(ラオポ)に頼むも取り合っ

てくれない。 当時、彼女と、老婆(ラオポ)と、小生は何れも同じ会社に勤めていた

間柄。互いに言葉を交わした事は一度も無い。そして当時、小生は老婆(ラオポ)の

存在を全く知らなかった・・・。今、独り身となった彼女に会って当時の本心を

伝えたかったのだが。しかし、老婆(ラオポ)はつれない、全く取り合ってくれない。

胸に畳んでおきなさいと。  まぁ、それはさておき

日本の映画の年間興行収入は約2100億円、8月に封切られたこの「君の名は」

は既にその1割を占めるという大人気。監督はアニメファンの間では有名な新海誠

監督。今回のアニメ映画、10〜20代をターゲットに製作した映画のようだ。

その後、口コミもあって中高年にも人気が広がっている。

クローズアップ現代でその人気の秘密を分析していたが、番組ゲスト二人の話を

聞いているとその内容、ストーリーが少し複雑で分かり難い  とも言っていたので、

予めネットであらすじを確認して出掛けた。 そして初めて訪れたイオン映画館。
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その前には現在上映されている映画が

掲示されている。約20本の多くの映画

が同時上映されている。受付を終えて入

ると10ホールもある中のスクリーンホー

ル5のF列9席の希望した指定席に向か

う。1ホールは約300席。金曜日平日、観客は30人余といったところで少ない。

大画面に美しいリアリティーなアニメ映像、音楽で少し内容的には分かり難かった

が初めて観るアニメーション映画を楽しんできた。

そして、若い頃の恋愛感情を、あの彼女を少し想い出させてくれて一瞬、若返った。

このクローズアップ現代番組では、このアニメの人気の秘密を分析、

@お互いに逢うに逢えない環境が胸にキュンとするのかも。
A若い頃の男女の掛けがえのない出会い、縁の記憶を呼び覚ます。
B過去に経験した出会いや別れと結び(赤い糸)を考える。
Cあの時別れたあの人、いま何をしているのだろうと。
Dそっと胸の中にしまってきた大切な人(伴侶)への感謝の気持ち。
E会えなくなった人のことを思い出し、自分の恋愛と重ね合わせた。etc

中高年の分析であるが、この映画を観に行くキッカケとなった小生の気持ちと一致

する。不思議な男女の縁(えにし)、神様が運命を操作をしていると思えてならな

い、小生には。予めストーリーを調べての鑑賞であったが、もう一つ、内容的に

は理解出来なかった。上映後、通常は銀幕に出演キャスト名の紹介が出てくるが、

今回はアニメーション映画。その代わりに実に沢山のアニメ制作に携わったメン

バーの名前が出てくる。近隣国の名前もあり、とても多くの人手作業で描画、作ら

れているのだな感じた次第。

*NHK番組 土曜日18:10〜 全20回放送 「忠臣蔵の恋」 Guu!!

posted by tennismouse at 22:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする