2017年07月20日

すべては借り物

小生のブログ記事に、「神」という語が良く出てくる。「神の仕業」と

いう句も良く用いる。どうも説明が付かない、何か不思議だ、運が悪い、

不運だ、と思うときに便宜的に使っているようだ。

昨年、新語の「神ってる」(神懸かってる)と言う語が流行語大賞に選ば

れた。この言葉を発した鈴木はマグレと思われイヤだったとも言っている。

処で、小生の購読する新聞に週1回、作家 曾野綾子の連載記事が載る。

1回完結編の日々の所感のような記事である。小生、本はあまり読まない

から彼女の小説を読んだことはないが・・・。85歳の彼女、頭が、思考

が柔軟、斬新で、その発想力に感心する。頭脳は、思考力はとても若々し

い。彼女はカトリック教徒、洗礼名はマリア・エリザペト。亡くなった夫

も同教徒。先日、週一回の記事が載った。以下はその内容の一部である。

 756回  夫のへそくりと子猫  才能も幸運もすべて「借り物」

『先日、ある日曜日に、私は急に歩くのが遅くなった。家の中である。

多分頭の中の回線が、1、2本切れたのだろう、と思ったが、まだ文章

も書けるし、料理もできる。できのほどはわからないが・・・人間をやっ

ていける範囲だから、大したことはないと思うことにした。

 私はカトリックの修道院の経営する学校で育ったので、人間の才能は

すべて神から貸し与えられた、という考え方にならされてきた。生徒の

中にはそのように「洗脳」された人もいるし、決してそうは思わなかっ

た人もいる。私の友達の中には、どちらのタイプもいる。

 スポーツ選手は、厳しい訓練の末に、すばらしい記録を手にするのだ

が、その訓練に耐える気力・体力も神にいただいたものだ、というふう

に考えるのである。

 つまり才能も能力も幸運もすべて借り物だ。借りたものというのは、

まともな人ならいつか、貸主に返す。まともでない人でも、あの世ま

で持っていくことはできない。見ること、聞くこと、歩くこと、すべて

与えられるもので、それを一つずつ、あるいはいちどきに全部お返し

することもある、と考えられている。

 死ぬ前に、身辺整理をしたい。借金は返していこう、という程度の考

えは、それほど珍しくない。ごく普通の人なら、そのような思考の形態

を取るのがむしろ当然なのだろうから、老人が一つずつ機能を失うの

は、それほど変わった変化ではないだろう。

 しかし、才能も財産もすべて「自分の」力の結果だと思う人は、

取り上げられることが、どうしても許せないだろう。

 6月初め、私は夫の遺品の中から、12万円のへそくりを発見した。

そして通りかかったホームセンターで、そのお金に少し足して、一応血

統書というもののついた子猫を買ってしまった。私は夫の死の数力月前

から、貰い手のない雑種の子猫をほしいと思っていたのだが、今時、要

らない子猫がなかなか見つからなかったのである。・・・ 以降省略』

才能も幸運もすべて「借り物」。誰からの借り物?神からの借り物と。

であれば、不運、不遇は?これも借り物、神から与えられたもの?

これを与えられた当人には苦境、人生試練が訪れる。神は不平等?

いや、考え方によっては、この試練、苦境、不運は、己の人間性、人格

を磨き、修身しろ、そして精一杯、楽しく生きろ、という風に捉える

ことも出来るもの。悩みの無い者などこの世にはいない。与えられた

範囲で精一杯生きろ、となる。試練に負けて、嘆き、落胆し、自暴

自棄のヤケになり、乱暴を働く輩も現れる。 しかし、

ものは考えようだ。嘆いていても得られるものは何もない。

理不尽を正し、公明正大に前向きにあるがままに生きよう・・・。

神のお召しに従って。
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2017年07月01日

拉致と人権

第49回 人権を考える大津市民のつどいが青山市民センターで開かれた。

「人権・生涯」学習推進協議会の催し。講師は拉致被害者である蓮池薫氏。

夢と絆を求めて」「翻弄された運命の中で」と題して。興味が有り前も

って我が計画に計上していた。とても興味を抱く友達と一緒に聞きに行った。

20分前に市民センターに着くも予想通りで会場は既に超満員、席は無く

立ちながら聞く羽目になった。その概略内容である。

1978年に拉致され、24年間、北朝鮮で過ごす。帰国15年が経過した。

北朝鮮は1960年代から外国人を拉致をしているようだ。

IMG_20170701_140629672.jpg日本との拉致問題の政府間協議で北朝鮮は

5名生存、8名死亡と告げた。北朝鮮に火葬

は無く土葬が昔からのしきたり。大雨で墓が

流されたとか言うも説得力がない。 

何故 拉致被害者を帰さないのか?

秘密がばれるから。しかし、多くの機密を持つ幹部が亡命しており、現在

では、拉致被害者を帰さないという理由は見当たらず、その主目的は見返り

である。それには経済協力、核、ミサイルに繋がらない現物支給である。

電力事情が悪い。多くの5階以上の建物は人が住んでいない。

それはエレベーターが動かない、水道の水圧が上がらないからで、送電線や

配電線などの電力の経済協力も一つの選択肢。    拉致とは、

命以外全て奪われる夢と絆を奪われる。現地で生まれた子供の希望も無い。

いつも監視され自由が無い。あるとき車に乗せられ平壌市内を移動している

と多くの日本人が居た。直ぐに判別できる。放送局の一団で、その中に

中村敦夫さんがいた。あの一団に近付き「生きている」という手紙を内緒で

渡したい衝動が、しかし、危険多く出来ない。年に1〜2回、市内ハイキング

がある。外国人も見かけ、トイレなどで英語のメモを渡したいがチャンスが

ない。1978年6〜9月、この間に北朝鮮は9人の日本人を拉致している。

拉致の目的はスパイにすること。レバノン、タイ、ルーマニア等々から若い人

を拉致している。7月31日妻と二人で拉致された。夜の海岸に二人で居る所

を拉致、二人で歩いているとどうも歩調を合わせて何人かが付いて来る気配を

感じていた。そして海側から1人の男がタバコの火を貸してくれと日本語で

話しかけた。男は大阪で暮らしたことのある在日朝鮮人の経歴、周りに人が

少なくなった所を見計らって行動に出た。歩調を合わせた数人の男に腕力で

押さえ付けられ、布袋に入れられ、2〜3日で朝鮮の清津港に着いた。

睡眠薬を飲まされて眠ってもいたようだ。そこから招待所(アジト)へ。

自分の意志で来たわけでは無く、この先どうなるのかという不安、死への

恐怖心、心はパニック状態。妻に逢わせてくれと言うも日本へ返したという。

あるとき、レバノン人の若い女性4人を拉致している。強制拉致では無く、

日本の企業で働きませんかと勧誘し、着いたところが北朝鮮。一定期間、教育

を受け、海外に派遣されたベオグラードで大使館に逃げ込み、脱出に成功。

そしてある日、結婚しないかと尋ねられた。相手は朝鮮に居ないと思っていた

妻、ビックリした。この結婚は心理的作戦の一環だと思った。結婚させ2人を

安心させる。子供を授かったがどう育てるかでも悩んだ。日本語教育をすると

将来、日本人スパイとして利用されるのでは無いか。そこで、我々両親はまだ

小さな子供に対し、日本人ではなく朝鮮人と言うことで教育した。

田口八重子さんや横田めぐみさんは生きている。しかし、両親が高齢であり、

時間が無い。解放されても5〜10年は一緒に住まないと長い空白は戻らない。

北朝鮮の体制は不安定だ。世界情勢によって翻弄されている。瀬戸際外交と

言われるように。ソ連邦の崩壊、中国と韓国の国交正常化(1992年)、

韓国金大中政権誕生などで浮沈、翻弄されても居る。中国、ロシア、韓国が

ダメなら、次は日本だ、と言うことで国交正常化交渉が始まり我々は帰国する

ことが出来た。一時帰国で有り、戻る条件であったが、家族間で騒動、葛藤が

あった。子供が朝鮮に残っていると言うこともあって。しかし、兄の説得、

判断も有って戻るのを留まった。1年半後には子供も帰ってきた。 さて、

講演を終え、友達が言った。何も拉致は北朝鮮だけの問題では無いのだと。

この平和な日本にも立派に存在するのだと。彼は30年前、1歳半の子供を

無理矢理拉致された。有る夜の夫婦喧嘩が発端で嫁方の親爺がタクシーで乗り

付け、彼の家族の抵抗を振り切り、強引に連れ出したのだ。離婚30年、父子

面会の決め事(18歳まで)を守った事は一度もなく、孫の顔を見ることなく、

その後、彼の両親は亡くなっている。この30年間、スパイ教育ならぬ洗脳

教育でこちらの有らぬ非を一方的に教育、所謂る欠席裁判を。子供優先では

なく自分優先の行動パターン、子供の人権無視、親子の絆無視に呆れると。

最近、戸籍から子供が結婚していること、住所も判明したが、静観、子供から

訪れてくるのを待つしか無いと諦め顔。思想教育結果に脅えて。どうも彼の

前妻は長い時間働くことが出来ない病的ヒステリーらしい、父娘の親子2代

という。しかし、至らないのは己だと彼は自虐的、自分が相手を見初めたか

ら、罠にかかり、誤って。そこで小生は一言、いや、違う、それは神の仕業

だと。そして、まぁ、世の中、こんなもの、あるがまま、なすがままですょ、

と慰める。小生も理不尽には強いアレルギー反応を示す者だが・・・。

最後に、彼は蓮池さんに同感だという。1億2千万人いる日本人の中で

何故俺が拉致被害者にならなければならないのだと言うことに。

*関連ブログ  2010.11.4  聴講6


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2017年06月27日

神はいる!?

時を刻み、時間が進む。

時間が進めば変化は起きる。

身構えるも、時にその変化に驚く。

何故か知らぬが、神のイタズラを感じる今日一日。
posted by tennismouse at 23:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月05日

まだ寝てるもう寝てる

今日のニュースに半年間に4日しか休めずに過労死というニュースが載った。

過去のサラリーマン川柳に、「まだ寝てる、もう寝てる」という句もあった。

日本にしかない過労死、十分な休息時間を取らずにただ働く、働かされる半強

制労働時間。月200時間を超える労働時間、休みたくても休めない。ならば、

会社は1人の社員を補充し、シェアーすれば解消されると思うのであるが、

1人分の総人件費は高い。であるから会社は現有人員でオーバーワークさせる

こととなる。仕事量が減れば超過労働時間も減り、仕事量の変化に対する融通

性も得られる。しかし、仕事は出来る人間に集まるが・・・。

超過勤務時間に苦しめられ、自ら身を滅ぼす選択をする、なぜ、苦しみから解放

される選択、会社を辞める最終選択をしないのであろうかという疑問も湧く。

そこで、小生の30代後半の働き盛りの頃の労働時間を調べた。 

我が家には親爺の昭和21年頃より、小生の平成14年頃までの約60年近く

の過去の給与明細表を全て整理保存している。小生は親爺と異なり、戦後の恵

まれた社会環境下で育った長男、ハングリー精神はなく、残業勤務は消極的。

専ら自らの自由な時間を優先する持ち主のマイホームタイプ。

これに反し、先代親爺は貧しい環境下で育った為、真面目でよく働くタイプ。

人の都合で短期の長時間勤務に陥り、親爺が放った苦痛の一言を覚えている。

疲れが度を過ぎると心身きつくて食事も喉を通らないと言っていた

現役当時の我が職場には九州などの地方出身の社員も多い。彼らは所帯を持ち、

子供を育て、マイホームを手に入れなければならない、だからよく働く。

小生はそのような環境、重い荷物を負ってないから彼らほど働かない。

職場は3〜4つ変わったが、最も長く働いた職場は同僚にも、自らの適職にも

恵まれ快適に働いた。人事の適材適所の人材配置のお陰である。仕事は面白い

が、しかし、残業は消極的。残業時間が多いと会社の評価は高いようだ。

仕事を積極的にしていると見なされるようだ。しかし、社員もいろいろいる。

隣の主人は帰りがいつも遅い、何故貴男は早いのかとなじる、嫁が。だから

残業をする。家のローンが残っている、割り増しで頂ける残業時間は美味しい

時間と言って仕事を残業に回す輩もいる。残業大好きで本給より残業手当が

上回る輩もいる。小生のような者も居れば、小生とは正反対の者もいる。

もし小生にマイホームローンが、子育ての経済的負荷が重くのしかかれば彼ら

同様、自ずと働き蜂となっていたであろう。昼間の仕事を残業に配分調整する

者もおれば、小生のように兎に角、素早く仕事を処理して早く帰ろう、フリーに

なろうという輩もいる。フリーとはいいものだ。小生の通勤時間は往復2時間半。

ある職場に居た頃、上司は暗に小生を批判した。官公庁と違うから、定時に退社

すべきでないと。その後、彼は小生に鉄槌を下し、10年の謹慎刑。これで小生

の会社人生は昇進限界へ。その後、適職職場に配置替え。我が人生にはこの世で

会ってはいけない人物が二人居た。その1人が彼である。刺された小生も痛いが、

刺した本人も痛い。3〜4年後、彼は放逐された。それから10年位後だろうか、

フレックス勤務制度が始まり、柔軟な勤務が可能になり、親の療養介護にも利用。

会社は業績が悪いときには残業規制時間をかける。しかし、仕事量は変わらない。

自然とサービス残業となる。反対に業績が良いと規制はなくなり、残業手当で

分配。このようにして会社(事業部)の業績を微調整しているようだ。 因みに

小生の昭和61年1月〜昭和62年12月の24ヶ月間の1ヶ月あたりの

残業時間を調べた。max36.5時間、min2時間、月平均16時間である。

仕事柄、休日出勤、連休中の出勤もあるが、代休取得が前提である。同僚の中に

は、自発的に月200時間前後(休出含む)の残業をする輩も居る。背中の荷物

が重いのか、将又、仕事への取り組みに対するアピールでもあるようだ。これは

多過ぎる。小生のこのような少ない残業時間、少しは注目したであろう、人事は。

残業を避けて得たこの自由な時間、何に使っていたのであろうか。今から考え

ると、結構、自己啓発に費やしていたようだ。それは好きなパソコンの勉強。

1979年頃がパソコンの勃興期。当時は高価であったが、これにかなり夢中

になっていたようだ。しかし、これが直ぐに仕事に生かされる事と相なった。

この初期段階のパソコンを職場に導入し、早速仕事に活用、データー解析で

アピール。会社はもっと認める?べきであるのだが、世渡りは下手クソォ

posted by tennismouse at 17:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月14日

部分自叙伝

キッカケは新聞記事からのヒントも多い、ブログ記事を書くに当たって。

日本の外交文書公開は30年経過したら原則公開すると載り、当時の中曽根・

中国の胡耀邦トップ会談の外交文書も先日、公開された。

そこで小生の情報、自叙伝も一部公開する。

全く価値のない個人情報だが、昔の現役会社生活の一端を省みようと。

小生は家庭電気製品を製造する某大手メーカーで主に生産技術畑を歩いて

きた。もう、30数年近く前になるだろうか、社内での一研修の話である。

VE(Value Engineering)研修であったと記憶しているが、研修開講冒頭の

人事課長の話。黒板上に、今までは各メーカー間の争いはゲームであった。

今年のシェアーはAメーカーが一位、Bメーカーが二位とシェアー争いの

ゲーム。競合するメーカーは多いが、商売が上手い会社はいつも一位。

それが今後はレース(競争)になると言う。

今後、競争が熾烈になるから、VEでコストダウンを、とのハッパである。

当時は、堺屋太一氏の言う規格大量生産の時代で会社の業績は順風満帆

の絶好調。我が会社で働く従業員は金太郎飴と言われ、大量規格社員の

ように言われた。所謂イエスマン。規格大量生産時代には余計なことは考え

ずに黙々と働く若い同質の規格従業員が重宝だ。国内品ばかりか多くの

輸出品の生産もあり、繁忙を極める。1分として生産は止められない。

国内工場の生産能力限界で将来の有望消費地でもある東南アジアに海外

工場を建設し、日本市場向けとはタイプの異なる大きくて重い製品等を同

工場から近い中近東方面等に輸出。しかし、良き時代は長く続かず、変化が

起きる。時代は常に変化する。既存国内製品の技術に大きな変化が起きた。

最近、粉飾決算で社長引責問題を起こし、技術を自負するT社が、先駆的な

インバーター式の製品を発表(’81年)。この方式、今後の主流になると判断、

社内はその技術的追随に追われる。ON-OFF制御方式から能力可変制御

方式に変わる技術の大変革。製品開発部門にとっては一大事件である。

早速、T社の新製品の解析が始まる。これを機に会社の意識改革の機運が

始まる。この変化、従業員も大変だ。180度の方向転換。金太郎飴に留ま

ってはいられない、多様な発想、企画力、出る杭の社員が求められる。

今までの延長線ではない多様な発想、アイデアを持つ社員が求められる。

日本の経済力が増すと、為替が変わり、円高が進んだ。生産コストの引き

下げと将来の有望大市場を見込んで経済発展の著しい、中国に第二の海外

工場建設が始まる。94年4月、小生も広州から大陸進出。各社が競うよう

に中国メーカーと合弁契約を結び進出。1年後、生産開始。そして国内への

逆輸入が始まる。価格競争、一社が逆輸入すれば、他社も追随する。

それ以前であったであろうか、日本の国策であろうか、会社は韓国の金星社、

今のLG電子から技術、情報、品質、生産面などで多くの技術者の研修を

受け入れ、技術支援を行う。その後、彼らは国内にコピー工場を建設。

こうして技術を得て、価格競争で優位な韓国メーカーに太刀打ち出来ず、

徐々に海外市場を奪われていく。

処で当時、各々一言のみ言葉を交わした研修先の情報処理部門に居て

日本人女性社員と思っていた、日本名 新井さん(情報一種合格)、

そして、品質管理部門に居た男性 金さん どうしているのだろう。

その後会社は専ら労働力の安価な中国工場に的を絞り、一大中国市場

への供給と日本への逆輸入を増やし、国内生産は減少の一途を辿る。

国内生産の縮小、空洞化の進展により、国内従業員に余剰が生まれ、

2001年、会社は希望退職の募集を開始。 小生、進むべき目標があり、

待ってましたと希望退職に手を挙げ、退職。第二の人生を歩む。

この家庭電器製品、技術優位は短く、当時では既に軽工業品、経営判断を

一歩間違うと、遅かれ早かれ海外勢との価格競争に立ちゆかなくなる日が

訪れるもの。
posted by tennismouse at 15:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする