2017年08月16日

平和と退廃

先ず、画。昨夜、野洲テニスクラブメンバーの通夜に行ってきた。

受付で記帳し、香典を渡そうとするも受け取らない、最近のスタイル。

記帳のみ済ます。祭壇には供花、遺影と棺が有り、棺の上には愛用の

ラケットとボールが置いてある。テニスが上手く、人当たりの良い故人

であった。奥方と共にテニスを楽しんでいた。コーチとなってからは

互いにボールを通わすことは無くなり、コートで会う機会は少なくなった。

昨年の3月から身体に異常を来し、この5月に再入院し帰らぬ人となっ

た。病名は悪性リンパ腫。頑健そうに見えていただけに信じられない。

喪主に一言声を掛けたが、後が続かない。親爺似で、どうも涙もろく、

一瞬涙を誘った。小生と同じ歳。早い死だ。誰があの世への順番を決め

ているのであろうか。やはり、神の仕業のようだ。

本題へ。

このブログ、あまり難しいことを書いては読む気になれないだろうから

少し誇張して面白く、興味を惹くように書いてはいるが、今回は少し

難解な記事を引用した。終戦記念日の15日に新聞掲載された記事、

少しは難解であるが大事な内容と。長文で有り、極一部分は省略した。

『戦後72年、大東亜戦争の戦没者に対する深い鎮魂を心に思う夏である。

まさに深い鎮魂の心に沈潜しなければならないのであって、戦争の犠牲

者を悼むというようなとらえ方をしてはならない。長い平和の中で、

英霊に対して礼を失するような振り返り方が目につくように感じられる。

戦没者は、世界史の必然の中で国家の運命に殉じたのであって、決して

犠牲者などではない。        ”内部からいつもくさってくる” 

茨木のり子の詩「内部からくさる桃」の中に「内部からいつもくさって

くる桃、平和」という一行があるが、過去の歴史の悲劇に対する敬虔の

情の喪失は、今日の日本の「内部からくさって」いる「平和」の腐臭の

一例であろう。72年間の長きにわたり自立的でない「平和」が続いて

きた日本に思いを致すとき、『イタリアールネサンスの文化』などの

名著で知られる19世紀スイスの歴史家・文化史家ブルクハルトの

『世界史的諸考察』(藤田健治訳)の一節が思い出される。

およそ150年前に語られたことであるにも拘わらず、現代の目本の

状況が言われているかのような錯覚さえ覚える。

ブルクハルトは、歴史における危機について論じている章の中で「長期

の平和は単に意気の沮喪を生み出すだけではなく、苦悩と不安に満ちて、

切羽つまった生存をつづける多数の人々の発生をも許すが、長期の平和

なくしては生ずることのないこのような存在はやがてはまた大声で

『権利』を求めて叫びつつどんな仕方ででも生存にしがみつき、真の力

の占むべき場所を先取して、あたりの空気をムッとさせ全体として国民

の血液さえ狼雑なものとするのである」と書いている。

今日の日本社会の「空気」は、確かに「ムッと」しているし、世間を騒

がせているさまざまな事件は、「国民の血液」が「狼雑」になってきた

ことを痛感させる。惰性で生き残った特殊な「考察」 この哲人の言葉

は、本来良きものである「平和」が孕む逆説的な危険について改めて考

えさせる。特に、自立的でない「平和」の場合は、その弊害がさらに深

刻なものとなるであろう。「戦争」と同様に「平和」も危険なのである。

「戦争」だけが危険であると思い込み、「憲法」と同様に「配給」され

た「平和」という枕の上に眠りつづけた日本の戦後史というものも、

「世界史的」「考察」を下してみるならば、ずいぷんと奇妙なものに違

いない。戦後のいわゆる進歩的文化人による特殊な「日本史的な、余り

に日本史的な」「考察」は、世界の現状からみれば、もう有効期限が

とっくに切れているのであるが、日本では「意気の沮喪」による惰性で

生き残っているのである。

英国の高名な評論家ラスキンの文章である。新渡戸は、レッシング(こ

れは18世紀のドイツの劇作家・思想家であるが)の「我らは知る、欠点

いかに大であるともそれ(戦闘)から徳が起こる」という言葉に付けた

注で「ラスキンは最も心柔和にして平和を愛する人の一人であった。

しかし彼は奮闘的生涯の崇拝者たる熱心をもって、戦争の価値を信じた」

と評した上で、ラスキンの次のような文章を引用している。

「戦争はあらゆる技術の基礎であると私の言う時、それは同時に人間の

あらゆる高き徳と能力の基礎であることを意味しているのである。

この発見は私にとりて頗る奇異であり、かつ頗る怖ろしいのであるが、

しかしそれがまったく否定し難き事実であることを私は知った。簡単に

言えば、すべての偉大なる国民は、彼らの言の真理と思想の力とを戦争

において学んだこと、戦争において涵養せられ平和によって浪費せられ

たこと、戦争によって教えられ平和によって欺かれたこと、戦争によっ

て訓練せられ平和によって裏切られたこと、要するに戦争の中に生まれ

平和の中に死んだのであることを、私は見出したのでのである。(一部略)

今や世界は深刻な危機の時代に入った。「平和」と「戦争」についての

単純な思考を超えて、ブルクハルト、ラスキン、レッシングのような

西欧の思想家たちの成熟した思想に改めて学ぶ必要があるのではないか。

そのような精神の深みからの鎮魂こそ、先の戦争の英霊にはふさわしい

からである。』

話は変わって、先日掲載の曾野綾子さんの一句に、

「貧乏も、病気も、家庭の不幸も、天災も、すべてその人の資質を

伸ばすのには役立つ。経済的に安定した平和な家庭で、穏やかに

成長することの方がいいに決まっているが、必ずしも順調を羨む事

もない。」 上文とどうも相通じるように思うもの。

*2017.8.15新聞掲載  「平和」の中に滅びた日本人の徳 
               都留文科大学教授 新保 祐司 著
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2017年05月25日

適当な距離感

若かりし頃の熱き恋人同士、青春時代は、毎日でも一緒に居たい、離れたく

ない。しかし、40〜50年経つと一緒に居たくない、離れたい、と吸引

から反発へと磁気嵐が襲う、サラリーマンのそこそこは。

子孫を残し、子供が巣立ち、残された2人。動物である人間、最大の目的を

達すれば、お互いに用はない。言い過ぎか?! 極論です。

昨日の新聞に、自営業や農業、漁業などの一次産業の方はいつもパートナー

が傍にいるし、定年退職がないので健康な限り仕事が出来る。これに反し、

片やサラリーマン。仕事一筋の現役時代、単身赴任を含めて夫婦すれ違いの

生活が多かった。最初は寂しかったが、徐々に「亭主元気で留守がいい」

夫抜きの生活を楽しむようになっていく。そして、夫が60〜65歳くらい

になると、突然グッと距離感が縮まる、それは定年で。朝食の後も居間に

居座り、「新聞」「コーヒー」と催促、今日の昼は何かなと催促。出掛けよ

うとすると「何処に行くのだ?」「何時帰ってくるのだ?」・・・。

定年後に夫が妻にまとわりつき、次第に体調が崩れていく状態を

亭主在宅症候群」と言うのだそうだ。一生懸命働いてきた夫には大変失礼な

話であるが、特にサラリーマン世帯に頻発する病なのです、という紹介記事。

これを改善するためにはお互いの距離感を見直してみたらどうでしょう、と

提案している。そこで我が周りの人々観てみた。先ず、テニス仲間。多くが

サラリーマン出身で殆どが退職者。その言動、行動からの判断であるが、

やはり、そのような方が見受けられる。程度の差はあるが。逆に仲睦まじい

夫婦も見受ける。表面上かは知らぬが。夫婦でテニス、共通の趣味を持つと

いいようにも思うもの。その趣味にも、人にもよるようだ。小生は母親に似て

園芸に興味。しかし、時折、母親と衝突した。僅かな園芸スペース、どのよう

な花を植えるか、誰がこのスペース主導するかで。

老婆(ラオポ)も観察している、隣家を。隣夫婦は老婆と同級生。よく亭主が

車で出掛けるという。家の中でいつも二人で顔を合わせるているのがお互い

辛いようだ。だから息抜きに出掛けるようだ、と。そういえば我が隣家も小生

と同じ年頃の年寄り夫婦が住んでいる。兎に角、旦那がよく車で出掛ける。

多い日には数回は出掛ける。熱心に奏でるも上手くない縦笛のケーナ以外に

趣味も無いようで同様の症状のようだ。比較されてるだろう小生が一因かも。

夫婦互いの距離感、長い距離感を互いに快いと思う夫婦もいれば、青春時代

の延長?の短い距離感? 空気の間柄のような夫婦もいる??? 短い距離感

を好む旦那(妻)に長い距離感を好む妻(旦那)の組み合わせは要注意。

この旦那の定年後に妻が発病する亭主在宅症候群は一種の精神面の生活習慣病

ではないのか。永年の昼間の自由気ままな生活環境習慣が、突然変化して

それに対応出来ない症状なのだ。変化不適応症候群とでも言おうか・・・。

小生は独身生活をケ・セ・ラ・セ・ラと謳歌しているキリギリス

時折、老婆(ラオポ)が遊びに来る。伯母の介護の癒やしを兼ねて訪れる。遠き

処より2週間に1回の距離感で。時に二人で京都などにも出掛ける。たまに

逢うと口角がよく動く。少し難聴の小生だが、そこで「Be quiet」、

「不要吵」と、さえずり、牽制球、暫し静寂。

口角も、何事も適当な距離感というものが大事なようです。

なにッ、会話がない、以心伝心と。各々方、貴方は被害者  or 加害者

それから、この距離感、字の違う距離間、小生の悪癖に車間距離🚗を詰める

習慣がある。なかなか直らないが、この長い距離は安全上とても大事だ。

posted by tennismouse at 12:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月06日

実験とトライ

トライ、試みるとある。トライと実験、微妙に異なる。先ずは、トライについて。

小生、トライし、試みた。それはこの無料ブログの利用を代えてみようと試みた。

それはより良くしたいから。ブログを訪れるお客さんに好印象を与えたいから。

eoブログを追い出され、eoから、引っ越し先ブログサイトは、SEESAA

ブログサイトが相性的にいいですよと紹介されたもの。eoブログと異なり、

紹介されたブログサイトは商用サイト、ブログのスマホ画面には必ず広告宣伝

IMG_1294[1].JPG
入る。PC画面でも入るが、極力排除設定

をしている。

ブログの外観印象を良くするには画面が

美しいこと、文字が読みやすいこと、

配色・デザインが、レイアウトが整然、広告が無いなど。

チョット技術的な内容になるが、これらの要求を求めブログサイト

自体を自身で作ろうと考え、最も易しいIT専門書籍を買ってきた。

ハードとなるブログサーバーを用意しなければならない、我が家に。

又はレンタルサーバーを用意しなければならない。そのサーバーへWord

pressなる無料ソフトを入れ、ブログサイトを構築しなければならない。

結論から言うと、考慮の末、自前のブログサイト構築は諦めた。

運用サーバーの、ブログソフトのメンテナンス、トラブル対応など煩雑な仕事

が増えるだろうと、技術的にも未熟であるし、諦めた。

その代わりとして、有料のブログサイトを活用しようと。有料サイトであれば、

自分好みの好きなURLが命名できる。この「blog.tennismouse.com」は

世界に一つのURLである。そして配色、デザイン、ブログパーツ等が豊富で

配置レイアウトも自在性があるだろうと利用を決めたもの。

現在、比較し、評価中である。有料に値するのであれば継続運用しよう。

有料サイト、何と言っても広告宣伝(スマホ画面)が入らないことが一番。

逆に、人気ブログとなればブログ内に広告宣伝を募って掲載するブロガーも

いる。広告収入とするもの。この有料ブログでも、今人気のLINEでも気

に入ったブログパーツ、スタンプがあれば有料で手に入れなければならない。

1つのデザインパーツが100〜200円と安価だが利用者数で勝負している。

差別化、自己主張をするため多くが利用している。

つぎは一大実験について。中国国家の社会実験について思うもの。

昨夜のNHKスペシャル番組。「中国の大気汚染、PM2.5」この影響により、

年間100万人が亡くなっているという。苦しむ患者の様子も放映されたが、

酷いものだ。被害者となっている一般市民と地元政府、役人の間の攻防、軋轢

が凄まじい。改善を求めて工場の立ち退き、停止を陳情するも地元政府は武力

でもって阻止行動に出る。法的に陳情を訴えても役所の受付もままならない。

年率10%台の高度経済成長時は経済的恩恵でこれらの問題は潜在化していたが、

成長鈍化と共に、顕在化してきた。大気汚染の環境問題は国家が抱える大問題点

の一つ。この国の政治システムが変わらない限り、これらの問題は解決できない

だろうと思えるもの。党政府が国民を抑圧する、力で抑圧する。有言不実行。

法律も無視する。多くの問題を抱え、解決できない。導入後、40年近くになる

市場経済システム、この社会主義市場経済システムという一大社会実験は経済の

右肩下がり、失速と共に失敗に向かっているように見えるもの。
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2016年12月30日

ブログを書く

このブログ、書き始めて来春で8年目に入る。書き始めた当初は、我が身の回り

の出来事の短い報告記事であったが、徐々に長き記事になっていった。

読者は誰を想定、読者のターゲットは誰?誰に対して、特定者?それは・・・・・。

我が年賀状の差し出し相手とテニス仲間に対して書いている。概ね小生と同年代

の友人、知人に対して書いている。毎年差し出す年賀状にはこのブログのURLを

記載し、広報している。そしてテニス仲間には口コミで広報している。

自慢できる記事ではないが宣伝している。友人、知人以外の多くの第三者にも読

んでもらおうと思えば、検索エンジンに登録すれば、検索され、公になるのである

が、検索エンジンへの登録は控えている。しかし、公に目には触れる。

余り難しい記事、硬い記事ばかりでは面白くない。高度な難しい記事は書けない

が硬・軟織り交ぜ、時折脱線しながら書いている。面白くあるがままに・・・・・。

時折、検閲する老婆(ラオポ)から貴方の品位を下げます、疑われますと忠告も入る

が、承知の上で書いている。機械音痴の老婆、最近WindowsならぬLinuxパソコ

ンの自らの操作技量が低いようで、検閲をすり抜けている。

記事を書く意欲が沸けば書き、当然ながら意欲がなければ書く気にはなれない。

バイオリズムのような意欲の波がある。

あるテニス仲間の1人の先輩が時折褒めてくれる、我が記事を。単純な小生だから、

褒められれば木にも登りたくなる。そんなに評価してくれているのかと。

ブログを書いて、褒められて思うところが有る。

作家などの物書き、創造的な仕事をする者は、孤独の環境がなければ良いアイデ

アは生まれないと思うもの。あることに没頭しようと思えば、アイデアを、創造力を

働かせようと思えば、邪魔を排し、多くは静寂な孤独の環境が必要である。

小生はこのような環境に恵まれていると言うもの。誠にもって残念、望まぬのである

が、邪魔をする者がいない孤独の環境の中に身を置いている。

沢山の家族に恵まれておれば、日常的に、子供が、孫が、嫁さんがと邪魔も入る。

家族の仕事も入る。時に注意もし、心配もする。常に頭の片隅には家族がある。

その愛する家族の為の思考も必要だ。自分の時間、静寂な孤独の時間はなかなか

得られないもの。小生は多くの家族、家庭環境を望む処であるが、如何せん、

神は意地悪、許してくれない、孤独を強要する、小生に。

誰もが孤独の静寂な自分だけの時間を持てれば、自ずと創造力は働き、余計な

ことを考えるもの。小生はそのような環境下にあると言うだけのことである。

自ずと生まれる孤独の自由な時間に余計なことを考え、それをブログに書き、

自分という人間を周りにアピールし、さらけ出している。あるがままに・・・・・。

このブログ、一方通行ではない。時にコート場でのご対面によるリアクションも

起きる、挑発記事等によって。相互通行でもある。

心理学で学んだ「ジョハリの窓」のオープンを心掛けている。ブログを通して。

犯罪心理学者が我がブログを読めば、書き手の小生の人間性、人物は完全に

見透かされてしまうだろう。ジョハリの窓の教えに従ってブログを書いているから。

巷では個人情報保護法なるものが施行されているが、小生、ある心の一面、心理

情報ではオープンだ。故に知能犯罪、悪事は出来ないと宣誓していることになる。

*関連ブログ 2010.12.19 「ジョハリの窓」

   この一年、ご愛読?!戴き有り難うございました。
  ご家族一同が集う新年、楽しいお正月をお迎えください
posted by tennismouse at 21:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月17日

雑感これあれ

今朝起きてリビングのカーテンを開けると、2方の大型窓サッシが既に開いている。

単なる閉め忘れ、窓サッシの閉め忘れ。鍵の掛け忘れも時たま起き、老化のイタズラ[E:think]

 新幹線[E:bullettrain]に乗っていると、電光掲示板に新聞各社のニュースが流れる。そのニュース

の合間に企業のコマーシャルも流れる。電光掲示板はすべてが文字情報であるから字数

は限られる。限られた字数表現、なかなか面白い。その企業の中にNISSHINBOと言う

企業が出てくる。昔の社名で書くと日清紡、紡績会社である。日立製作所、日産、みずほ

銀行などの芙蓉グループ。その流れる電光コマーシャルに出てくるこの会社の宣伝の

キャッチフレーズは、「いま、必要な会社」。インパクトがあり、なかなか面白いフレーズ。

多角化事業でこんなこともやっていますよと紹介している。紡績の面影は全くない。

たまに放映されるテレビCMも犬を使ってユニークで訴求力がある。その多角化事業の

一つに紙事業がある。我が家のトイレットペーパーも同社のペーパー。トイレットペーパー

は清潔感ある純白が一般的。同社のペーパーには、淡い模様が印刷されている。

他社にはなく差別化を図っている。そうして使い終わったペーパーの芯には、「毎度あり

がとうございます。やさしい出会い」(紙質等が)と書いてある。感謝のメッセージ、無駄には

しない。同社は親爺が永年勤めた会社。小生もその社宅で永年暮らした。 しかし今、

繊維事業は脇役。昔は全国に紡績工場が点在したが、その内14工場が過去に存在した

拠点となっている。勿論、小生の暮らした社宅、工場は跡形も無い。

経営者も優れ、紡績不況で精紡機の機数を業界一律減らす提案がなされたが反対、

自由競争に任せるべきとの持論を主張した。紡績業から業種転換し、多角化経営が軌道

に乗っているようだ。徹底した無駄を省いた会社で、当時の経営が厳しかった紡績工場で

は、鉛筆1本、封筒1枚も無駄にはしなかった、と親爺が語っていた。

 日本の大新聞、朝日新聞。昨今、誤った報道記事を放ち、世論を誘導するこの新聞、

朝鮮日報になったのではないかと疑ってしまう。社内に外来種が蔓延り、どうも情報操作、

誤った世論誘導を企てているのではないかと疑ってしまう。

今日は何時も行く床屋に行ってきた。少し年下のおばさん1人が作業している予約制。

彼女は仕事の合間によく遊ぶ。彼女はとても働き者。よく働き、気晴らしによく遊ぶ。

そして何をやっても上手い。その主たる遊びはゴルフ。良く賞をもらってくる。 また、

早朝2時から3時間、新聞配達をやっている。配達している新聞は朝鮮日報ではなくて

朝日新聞。朝日新聞の報道不祥事で部数が減っているのではないかと良く尋ねる。

殆ど減っていないという。配達地域によって差があり、他の地域は減っているようだけど、

私の配達する区域はレベルの高い住宅地、殆ど変わらないという。彼女の弁を借りると、

社会的地位の高い人、大学教授などは継続購読しているようだという。新聞を読むと言う

ことは、鵜呑みに読む人もいれば、批判的に、検閲的に読む人もいる。1紙ではなく他紙を

購読して、色々な見方の参考にしている人もいるだろう。鵜呑みにするのでは無く、情報に

振り回されるのでは無く、自分の持つ知識を元に咀嚼し、自分なりの考えを持ちたいもの。

先月、店に行ったとき、取次店の経営者が代わり、条件面で折り合いがつかず辞めると

言っていたが、今日行ったところ、説得され撤回していた。代わりがいないのだ。

この床屋の彼女、小生のチョットした巷情報の入手先である。なかなか良い情報も入る。

彼女の情報の入手先は種々のお客さん。口コミ、ヒューマンネットワークが大事だ。

規模と内容は大きく異なるが、銀行と美理容院は情報産業でもある。

posted by tennismouse at 14:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする