2018年11月20日

病巣の露見

11月にもなると喪中葉書が舞い込む。今日も1通、従兄弟から、妻を亡くし

たとある。まだ若く59歳。毎日、誰もが死と隣り合わせで生きている。

我が輩も妹も共に毎年1歳づつ歳をとる。誰もが平等に歳をとる。年齢カウン

トに不正、逆転は無い。しかし、身体年齢、体力年齢は人様々。この歳になる

と色々身構えもする。病気が襲ってくるのではないか、来ているのではないか

と不安にもなる。小生は自分勝手に体質を、病気、遺伝体質を考え、判断する。

小生はお袋系統の病気体質、癌の血筋系統を予測。しかし、現状は高血圧症状

で親爺系統の体質を示している。予測に反し、妹がお袋系統の病質で罹患した。

妹は頑健体質、小生が先ず病気に、癌に罹患すると予測していたのだが・・・。

特定健診の胃カメラ検診で食道癌が判明した。この10日余の間に3度、病院

に同行している。今日の主治医の説明による治療方針も、日程も固まってきた。

化学療法(抗癌剤治療)の入院を経て手術に移る予定だ。症状経過によっては

変更もあり得るが、年内から来年にかけて治療は及び、来年に入り手術となる。

10時間に及ぶ大手術と主治医は説明している。同じ癌でも胃癌、大腸癌より

部位的に大変な手術のようだ。まぁこの癌、2人に1人が癌になる時代、罹患

順番は神がお決めになることだ。ただ、妹にとっては時期が悪い。大きな某計

画の進行中に起きた。しかし、病気治療を最優先。共に明るい性格が取り柄で、

あるがままに・・・、なすがままに、と思うもの。

兄弟二人、互いに助け合い、最善の判断を下すしか無い。自覚症状が無い状態

で、副産物的に見付かった癌、主治医を信用して恐らく大丈夫であろうと。

同じ市内に住む老婆(ラオポ)妙子さん、カケホーダイに切り替え、妹の情報を

問い詰める。これを機会に3人互いのヘルプネットワーク、3老ネットを築き、

対処を想定しておかなければならないと思うもの。

この前、NHKで人生百年時代、延命か、自然死か、の特集を放送していた。

考えさせられる。しかし、己の考えは明快だ。自らの力で生きているのであれ

ば医療の力を助けに生きる。延命で、装置、機械で生かされているのであれば、

ただ、呼吸をしているだけであれば、迷わず自然死を選ぶ。    さて、

話題を変えて。大きな国際ニュースになっている。日産自動車のカリスマ経営

者カルロス・ゴーン氏が報酬の不正を企てた。風貌からしてカリスマ性がある。

人間の欲には限りが無い。己は会社グループの再生、業績に多大の貢献をした、

その割には報酬が少ないという思いがあったのであろう、慢心、思い上がりと

思うもの。日産の経営危機場面に登場、どん底の状態、これ以上落ちることの

無いところまで落ちた状態でコストカット(人員削減等)、コストキラーを発

揮、日産の経営を蘇らせた。カリスマ性が生まれた。結果、1人に権限が集中

する。カリスマだから、周りはノーとは言えない。独善、独走が始まる。日本

を卑下した面もあるのだろうと思ったりもする。外国人ケリー取締役も共犯容

疑。彼の脱線、信頼は失墜、全てを失った。処で日産の事件発覚前までの株価

は元々大きな変動はない。しかし、何故か配当額が多く、配当利回りがとても

とても良い、故に注目していた。外資ルノーが日産の株式の43%余の多くを

所有している。この結果毎年、ルノーには多額の配当金が転がり込む。

日産を食い物にしているように映った。ルノーに問題があるとは一概に言えず、

経営主導を握られた日産にも問題があると思うもの。日産側の経営陣、ガバナ

ンスにも問題があるようだ。
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2018年10月03日

請け売り記事

今日の朝刊に愛読する毎週水曜日連載の作家 曾野綾子氏の記事が載った。

この世に生まれた意味。そこにいる」だけで十分価値がある」

以下は、その記事の請け売り(転載)である。 上手いなぁ、と思ったから。

人生の後半に入ってくると、自分は何のために生きてきたのだろう、と話し

合っていることがある。自分がそのサークルに入って喋っていることもあるし、

そこにいる他人の話を、深い思い入れをもって聞いている場合もある。

多くの人が「気にする」のは、自分はこの世に生まれてきて果たして意味が

あったのだろうか、ということだ。ことに女性は会社勤めをして、利益をあげ

るのに貢献したという実績もないから、結婚して子供を育てたという事実があ

っても、功績を自覚しにくい。

しかし私くらいの長い年月を生きてくるとわかるのだ。人は「その場にいた」

ということだけで、必ず人の役に立ってきたのだ。 

暗い夜道を、不安を覚えながら歩いている若い娘がいる。折あしく向こうから、

黒いオーバーの襟を立てて歩いてくる男がいる。危険人物なのだろうか。

そんな時、いかにも主婦然とした外見の「私」が、一人通りかかっているだけ

で、若い娘は少し安心する。黒オーバーが悪い人でも、主婦らしい人は、自分

と一緒に大声を出して助けを呼んでくれるだろう、と思う。 

私の知人の女性がある時、友人からもらった堀りたてのジャガイモを手提げに

入れて、電車に乗った。そして、ふとしたはずみに袋の持ち手の一方をはずし

てしまった。ジャガイモは電車の床一面に転がった。慌てて拾うのが当然だが、

効率よくいかない。彼女ははいつくばり、車両の半分くらいの面積に散らばっ

ているジャガイモを拾い集めた。すると中の1人のおぱさんが席から立ち上が

って手伝ってくれた。普通澄ました顔をしている都会風人種は、こういうこと

に手を出さない。しかしその人は自分の手提げを座席に置き、20個近くのジ

ャガイモを拾い集めるのに手を貸してくれた。ジャガイモの所有者は、その気

さくな手助けに心を打たれた。逃げたジャガイモ共が、首尾良く「捕獲」でき

たところで、彼女は4、5個のジャガイモを相手に返した。

「お礼の気持ちだけですけど」 「あら、すみません。いいんですか? 

新ジャガのお味噌汁はおいしいから、うれしいですよ」 聞いていた人は、

ジャガイモはもらえなかったけれど、新ジャガの味を思い出して、明日はジャ

ガイモを買おうと考えたと思う。 この場合、ジャガイモを床に落とした人も

拾い集めてあげた人も、共にそこにいてよかったのだ。それどころか、ジャガ

イモを畑で作った人も、この重要な場面を創るのに人知れず役立っていたのだ。

 人間生きていて、何かに役立たないことはない。

「私は一生何もしなかった」 という人は、この手の陰のドラマを思い描くこと

に不慣れなだけなのだ。 私は作家としてごく当たり前のことだが、こういう

表に現れない陰のドラマの部分を確認することに、長年楽しみを覚えて暮らし

てきた。

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2018年05月02日

テニス諸々に

先日の日曜日、久し振りに能登川へテニスに行ってきた。1時間余、ある

作業を終え、コンビニで弁当を買い、コートのある新緑茂る山裾の公園のベン

チに座り食するいつものパターン。集まったメンバーは6名。メンバーを替え

てゲームを楽しむ。4ゲーム先取で試合は終了し、暫し休憩。と、その時、

神社に繋がる参道を狸のような動物がゆっくり歩いて来る。狸?ハクビシン?

垣根に隠れて見えなくなったが、追いかける。どこにもいない。と、排水溝

から顔を出した。鼻筋の白い線からハクビシンだ。小生が永年暮らした能登川

で初めて観た野生の外来種ハクビシン。小生の子供の頃にはハクビシンという

名も知らなかったが・・。福島県の原発の放射能汚染地区は人の住めない廃墟

となっているが、その一帯ではこのハクビシン、狸、猪、鼠などが家屋に侵入、

営巣、数を増やしているようだ。しかし、何故この能登川にハクビシンが・・。

日本全国、この野生動物の猿や鹿を含めて数が増えているようだ。東京でも、

我が住宅域でも猿が一度出没した事がある。近くの田畑では猪が出没している。

どうも人間様の活力が低下、少子高齢化に伴って天敵の人間様の数が、活力が

低下してくるとその代わりに動物が勢力を伸ばしているようだ。テリトリーが

人から動物に移っているのだ。この結果、食べ物も増え、増勢しているようだ。

何と微妙なものだ。まぁ、世の中、犬猫ばかりでは無くこのような適度な野生

動物も歓迎するが、危害を及ぼす熊に猪、猿はごめんだ。人様が驚き慌てる。

16時に練習を終え、その帰り道、予定の店で野菜苗を買い求め帰路についた。

今日は水曜日、テニス練習日。水の曜日、どうも感覚的に雨の日が多く感じる。

今日のような空模様では主体的に活動してくれている夫婦が可否判断に悩む。

降り始めるのは何時か?  であれば、降り始めるまではやるとするか? 等と。

精度の高い判断を下し、メールによる連絡が入る。コートのある地域のスポッ

ト天気予報を参考に可否を判断しているようだ。今日の午後からの降雨確率は

90%、出来る確率はとても低い。この天気予報、スーパーコンピューの性能、

AI人工知能の進歩により、予報精度が格段に向上、嬉しくも有り、悲しくも

有りの心境。しかし、時には外れもし、予報の時間がズレもする。

練習時間は12半〜16時半。今日の90%の降雨確率に観念し、勘ピュー

ターも働かせて、早い判断の10時過ぎ、中止の連絡メールが届いた。
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2018年03月02日

楽天家と投資

大学生の本離れがますます進んでいるという。昨年は1日の読書時間ゼロと

答えた大学生は5割を超えたという。情報収集はスマホで用が足りる、忙し

くて時間がないと言うのであろう。自慢できないが、こう言う小生も本は殆

ど読まない。先日、facebookの友達が北方謙三の大水滸シリーズにのめり込

んでいると言う。水滸伝小説19巻、楊令伝小説15巻を読破、今後、

岳飛伝小説17巻を予定しているとある。凄い読書家ですねとコメントした。

大学生と同じで小生は殆ど本を読まない。読んだら面白いのであろうが読ま

ない。専ら活字は新聞である。その新聞、今日、目に留まる文字が載っている。

株式投資に向いている人?とある。その内容には小生の性格にピッタリの内容

が書いてある。『「好奇心旺盛で、何でも興味を持ち、連想ゲームが好き」

とある。そんな人は株式投資を楽しむ素養があります!銘柄選びでも保有中

に起こる出来事からも様々なことを学び取り、金銭的な損得以外にも充実し

た日々を送ることが出来るでしょう。肝心なことは ” 購入後に来るべく相場

変動にどう向き合えるか ” です。ビジネスモデルに立脚した将来性をみて、

長期的に信頼できる企業にゆっくり投資することをお勧めしています。

この場合はせっかちではなく、何事にも「起きてしまったことは仕方ない」

と割り切って、冷静に身の振りを考えられる楽天的な性格は強い武器となり

ます。あまり感情的にならない方が有利な投資につながりやすいものです。

そこで無理のない金額で実際に投資してみて、株価変動で自分がどう動くか

を客観的に観察してみるのが良いでしょう。』と、ミニ投資講座にアドバ

イスが載っていた。いいキッカケだ。このアドバイスに素直に従うことに

決めた。投資だから損得が発生する。しかし、投資アドバイザーが性格的に

小生は株式投資に向いていると説いているから、それを信用することにした。

金銭の損得以外にも株式投資を通して世界の、世の中の動き、経済の動きに

注目することになり様々な学びがあるのであろう。脳の刺激にもなる。早速、

ネット証券に口座を開設することにした。投資先輩、M1君とM2君の後塵

ではあるが、彼らの投資したお金が小生の財布に直結、還流することになる

ように祈ろうと思うもの。   この投資アドバイス内容を省みて、改めて

自らの性格を眺めてみると、好奇心旺盛、何でも興味を示す、起きてしまっ

たことは仕方ない、の性格は合致している。しかし、冷静な身の振り方の楽

天的な性格、の楽天的にはあまり自信がない。「楽天」を辞書で調べると、

「自分の境遇を天の与えたものとして受け入れ、くよくよしないで人生を

楽観すること」とある。その説明通りだ、小生は楽天家である。初めて自覚

した。どうやらいい性格のようだ。この反対では、鬱病等に陥るのであろう。

小生の波乱人生、そのように考えなければ乗り越えられないという必然性だ。

好きな言葉は、Let  it  be!! あるがままに・・・。 ピッタリだ!
posted by tennismouse at 21:51| Comment(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月24日

兄弟仲良く

年齢の上昇と共に罹患リスクは高くなり健康が気になる。一つ先輩の星野元

監督が亡くなった。元気な男と言う印象があったので突然でビックリした。

今朝の朝刊の下段には多くの広告が載っている。健康に関する宣伝が多い。

「薬に頼らず血圧を下げる方法」、「究極の疲れないカラダ」、元気になる

栄養食品の「ノコギリヤシ」、「膝関節の柔軟性に1粒」、冬の血圧高めに

「トマト酢生活」etc と載るも、効果に疑問を持つから食指は動かない。

この正月には妹が身体に良いと沢山の食料品を持参した。年2回、誕生日で

ある盆と正月に集合と決めているが、去年の盆の集合時には大袋入りのクルミ

などを持ってきた。今回は大袋の乾燥果実、黒ニンニク、ココアピーナッツ。

小生の高血圧に効くという思いから木の実類が多い。医食同源、食べ物は健康

を左右する。それだけ小生が必要という事であろう。今死なれては私困ります

という事であろう。妹も苦労が多い。兄弟二人とも、結婚後、苦労が襲って

きた。何故二人共にと?! 時に、先祖を恨んだものである。因果応報、遠い

ご先祖が何か仕出かしたのではなかろうかと疑ったりもしたものだ。 しかし、

妹は陰に陥るのではなく元来が社交的で明るい性格だから助かっている。
元来が親兄弟に頼る、心配をかける性格ではない。故に逆に親兄弟が大丈夫か

と心配したものだ。時折、お袋が嘆いていた、用意した手土産の多くを持って

帰らないことに親の気持ちも察してと・・・。最近は厚かましく小生に頼って

いる。だから助言もしている。しかし、時折、古〜い話を持ち出すからもめる

ことも。全く記憶にない話を持ち出すからもめる。小生は、幼少の頃の出来事

を持ち出し反撃する。この悪いことは誰がした、のお袋の問いに対し、妹は

「兄ちゃん」と答える、何時も。このもめごとも「兄」だという。一度は反撃

が必要という事で、「弟に生まれて来れば良かった」と一言。それ以降、

小生に対する風向きが少し変わってきた。これによく似た話。中学生の頃の話。

小生は長男、両親は長男を第一にする、妹は第二。何でも長男を優先。そこで

おとなしい妹が珍しく反抗した。いつもいつも「兄」ばかりと一刺し。そこで

お袋はハッと目が覚めた、気付かされたと言う、これではいけないと。以降、

妹に対するお袋の風向きが変わった。何度かお袋から聞いた反省の弁。中には、

仲の良くない兄弟姉妹がいるが、兄妹二人、当然ながら協力し仲は良い。

今回、血圧対策の食料品を持参したが、好きな酔水類の他にリボンに結ばれた

シクラメンも持ってきた。今回で2鉢目。還暦の時には胡蝶蘭を持ってきた。

小生は自称園芸研究家、シクラメンも10年目となるランも今もって大事に

育てている。シクラメンは3鉢に、ランも2鉢に増えている、増やしたもの。

シクラメンに限らず、屋内の観葉植物も増殖した。これ以上増やすと手数が

かかるから減らす方向だ。老婆(ラオポ)さんも決まって好物の酔水を持って

くる。答礼が大変だが二人にはサービスで以て答礼としよう。

対象は父親代わりにある東京の姪に。老婆さん、早速、古いパソコンを持参

した。何時もこのパソコンで我がブログを検閲しているのだ。

この老婆さんには妹が1人。内緒!?だが、我々兄妹とは真逆である。

時に妹側の立場で考え、言うのだが・・・。何とかならぬか人間模様。
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2017年08月16日

平和と退廃

先ず、画。昨夜、野洲テニスクラブメンバーの通夜に行ってきた。

受付で記帳し、香典を渡そうとするも受け取らない、最近のスタイル。

記帳のみ済ます。祭壇には供花、遺影と棺が有り、棺の上には愛用の

ラケットとボールが置いてある。テニスが上手く、人当たりの良い故人

であった。奥方と共にテニスを楽しんでいた。コーチとなってからは

互いにボールを通わすことは無くなり、コートで会う機会は少なくなった。

昨年の3月から身体に異常を来し、この5月に再入院し帰らぬ人となっ

た。病名は悪性リンパ腫。頑健そうに見えていただけに信じられない。

喪主に一言声を掛けたが、後が続かない。親爺似で、どうも涙もろく、

一瞬涙を誘った。小生と同じ歳。早い死だ。誰があの世への順番を決め

ているのであろうか。やはり、神の仕業のようだ。

本題へ。

このブログ、あまり難しいことを書いては読む気になれないだろうから

少し誇張して面白く、興味を惹くように書いてはいるが、今回は少し

難解な記事を引用した。終戦記念日の15日に新聞掲載された記事、

少しは難解であるが大事な内容と。長文で有り、極一部分は省略した。

『戦後72年、大東亜戦争の戦没者に対する深い鎮魂を心に思う夏である。

まさに深い鎮魂の心に沈潜しなければならないのであって、戦争の犠牲

者を悼むというようなとらえ方をしてはならない。長い平和の中で、

英霊に対して礼を失するような振り返り方が目につくように感じられる。

戦没者は、世界史の必然の中で国家の運命に殉じたのであって、決して

犠牲者などではない。        ”内部からいつもくさってくる” 

茨木のり子の詩「内部からくさる桃」の中に「内部からいつもくさって

くる桃、平和」という一行があるが、過去の歴史の悲劇に対する敬虔の

情の喪失は、今日の日本の「内部からくさって」いる「平和」の腐臭の

一例であろう。72年間の長きにわたり自立的でない「平和」が続いて

きた日本に思いを致すとき、『イタリアールネサンスの文化』などの

名著で知られる19世紀スイスの歴史家・文化史家ブルクハルトの

『世界史的諸考察』(藤田健治訳)の一節が思い出される。

およそ150年前に語られたことであるにも拘わらず、現代の目本の

状況が言われているかのような錯覚さえ覚える。

ブルクハルトは、歴史における危機について論じている章の中で「長期

の平和は単に意気の沮喪を生み出すだけではなく、苦悩と不安に満ちて、

切羽つまった生存をつづける多数の人々の発生をも許すが、長期の平和

なくしては生ずることのないこのような存在はやがてはまた大声で

『権利』を求めて叫びつつどんな仕方ででも生存にしがみつき、真の力

の占むべき場所を先取して、あたりの空気をムッとさせ全体として国民

の血液さえ狼雑なものとするのである」と書いている。

今日の日本社会の「空気」は、確かに「ムッと」しているし、世間を騒

がせているさまざまな事件は、「国民の血液」が「狼雑」になってきた

ことを痛感させる。惰性で生き残った特殊な「考察」 この哲人の言葉

は、本来良きものである「平和」が孕む逆説的な危険について改めて考

えさせる。特に、自立的でない「平和」の場合は、その弊害がさらに深

刻なものとなるであろう。「戦争」と同様に「平和」も危険なのである。

「戦争」だけが危険であると思い込み、「憲法」と同様に「配給」され

た「平和」という枕の上に眠りつづけた日本の戦後史というものも、

「世界史的」「考察」を下してみるならば、ずいぷんと奇妙なものに違

いない。戦後のいわゆる進歩的文化人による特殊な「日本史的な、余り

に日本史的な」「考察」は、世界の現状からみれば、もう有効期限が

とっくに切れているのであるが、日本では「意気の沮喪」による惰性で

生き残っているのである。

英国の高名な評論家ラスキンの文章である。新渡戸は、レッシング(こ

れは18世紀のドイツの劇作家・思想家であるが)の「我らは知る、欠点

いかに大であるともそれ(戦闘)から徳が起こる」という言葉に付けた

注で「ラスキンは最も心柔和にして平和を愛する人の一人であった。

しかし彼は奮闘的生涯の崇拝者たる熱心をもって、戦争の価値を信じた」

と評した上で、ラスキンの次のような文章を引用している。

「戦争はあらゆる技術の基礎であると私の言う時、それは同時に人間の

あらゆる高き徳と能力の基礎であることを意味しているのである。

この発見は私にとりて頗る奇異であり、かつ頗る怖ろしいのであるが、

しかしそれがまったく否定し難き事実であることを私は知った。簡単に

言えば、すべての偉大なる国民は、彼らの言の真理と思想の力とを戦争

において学んだこと、戦争において涵養せられ平和によって浪費せられ

たこと、戦争によって教えられ平和によって欺かれたこと、戦争によっ

て訓練せられ平和によって裏切られたこと、要するに戦争の中に生まれ

平和の中に死んだのであることを、私は見出したのでのである。(一部略)

今や世界は深刻な危機の時代に入った。「平和」と「戦争」についての

単純な思考を超えて、ブルクハルト、ラスキン、レッシングのような

西欧の思想家たちの成熟した思想に改めて学ぶ必要があるのではないか。

そのような精神の深みからの鎮魂こそ、先の戦争の英霊にはふさわしい

からである。』

話は変わって、先日掲載の曾野綾子さんの一句に、

「貧乏も、病気も、家庭の不幸も、天災も、すべてその人の資質を

伸ばすのには役立つ。経済的に安定した平和な家庭で、穏やかに

成長することの方がいいに決まっているが、必ずしも順調を羨む事

もない。」 上文とどうも相通じるように思うもの。

*2017.8.15新聞掲載  「平和」の中に滅びた日本人の徳 
               都留文科大学教授 新保 祐司 著
posted by tennismouse at 10:27| Comment(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月25日

適当な距離感

若かりし頃の熱き恋人同士、青春時代は、毎日でも一緒に居たい、離れたく

ない。しかし、40〜50年経つと一緒に居たくない、離れたい、と吸引

から反発へと磁気嵐が襲う、サラリーマンのそこそこは。

子孫を残し、子供が巣立ち、残された2人。動物である人間、最大の目的を

達すれば、お互いに用はない。言い過ぎか?! 極論です。

昨日の新聞に、自営業や農業、漁業などの一次産業の方はいつもパートナー

が傍にいるし、定年退職がないので健康な限り仕事が出来る。これに反し、

片やサラリーマン。仕事一筋の現役時代、単身赴任を含めて夫婦すれ違いの

生活が多かった。最初は寂しかったが、徐々に「亭主元気で留守がいい」

夫抜きの生活を楽しむようになっていく。そして、夫が60〜65歳くらい

になると、突然グッと距離感が縮まる、それは定年で。朝食の後も居間に

居座り、「新聞」「コーヒー」と催促、今日の昼は何かなと催促。出掛けよ

うとすると「何処に行くのだ?」「何時帰ってくるのだ?」・・・。

定年後に夫が妻にまとわりつき、次第に体調が崩れていく状態を

亭主在宅症候群」と言うのだそうだ。一生懸命働いてきた夫には大変失礼な

話であるが、特にサラリーマン世帯に頻発する病なのです、という紹介記事。

これを改善するためにはお互いの距離感を見直してみたらどうでしょう、と

提案している。そこで我が周りの人々観てみた。先ず、テニス仲間。多くが

サラリーマン出身で殆どが退職者。その言動、行動からの判断であるが、

やはり、そのような方が見受けられる。程度の差はあるが。逆に仲睦まじい

夫婦も見受ける。表面上かは知らぬが。夫婦でテニス、共通の趣味を持つと

いいようにも思うもの。その趣味にも、人にもよるようだ。小生は母親に似て

園芸に興味。しかし、時折、母親と衝突した。僅かな園芸スペース、どのよう

な花を植えるか、誰がこのスペース主導するかで。

老婆(ラオポ)も観察している、隣家を。隣夫婦は老婆と同級生。よく亭主が

車で出掛けるという。家の中でいつも二人で顔を合わせるているのがお互い

辛いようだ。だから息抜きに出掛けるようだ、と。そういえば我が隣家も小生

と同じ年頃の年寄り夫婦が住んでいる。兎に角、旦那がよく車で出掛ける。

多い日には数回は出掛ける。熱心に奏でるも上手くない縦笛のケーナ以外に

趣味も無いようで同様の症状のようだ。比較されてるだろう小生が一因かも。

夫婦互いの距離感、長い距離感を互いに快いと思う夫婦もいれば、青春時代

の延長?の短い距離感? 空気の間柄のような夫婦もいる??? 短い距離感

を好む旦那(妻)に長い距離感を好む妻(旦那)の組み合わせは要注意。

この旦那の定年後に妻が発病する亭主在宅症候群は一種の精神面の生活習慣病

ではないのか。永年の昼間の自由気ままな生活環境習慣が、突然変化して

それに対応出来ない症状なのだ。変化不適応症候群とでも言おうか・・・。

小生は独身生活をケ・セ・ラ・セ・ラと謳歌しているキリギリス

時折、老婆(ラオポ)が遊びに来る。伯母の介護の癒やしを兼ねて訪れる。遠き

処より2週間に1回の距離感で。時に二人で京都などにも出掛ける。たまに

逢うと口角がよく動く。少し難聴の小生だが、そこで「Be quiet」、

「不要吵」と、さえずり、牽制球、暫し静寂。

口角も、何事も適当な距離感というものが大事なようです。

なにッ、会話がない、以心伝心と。各々方、貴方は被害者  or 加害者

それから、この距離感、字の違う距離間、小生の悪癖に車間距離🚗を詰める

習慣がある。なかなか直らないが、この長い距離は安全上とても大事だ。

posted by tennismouse at 12:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする